循環器内科医師を目指して

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葭山 稔
(大阪市立大学大学院医学研究科 循環器病態内科学)


1981年に循環器内科を志し30年が経ちました。その頃は、インターベンションという治療もなく、急性心筋梗塞は、不整脈のモニタリングと心不全の治療でした。心不全の治療に関しても、血管拡張療法が広まりつつある時期でした。学生時代は知らなかった断層心エコーを見たときは、本当にびっくりしました。2年間の大学での研修の後、大学の医局の命で2年間民間病院に勤務しました。多くの救急患者を診察しました。特に、循環器が専門の病院では無いので、ありとあらゆる疾患が来ました。敗血症性ショック、急性化膿性胆管炎、ギランバレー症候群、喘息の重責発作などなど、多くの臨床経験が出来ました。自分としては大学院に進みたかったのですが、家庭の経済的理由で行けませんでした。大学院に進んでいる学生をうらやましく思うこともありました。
そんな中、民間病院勤務の2年目には余裕が出てき、我流で臨床研究のようなことをしていました。その分だけ少し余分に処置に時間がかかることもありました。先輩医師に、処置の間、少しだけ時間が欲しいと言ってました。先輩医師からは、私の行為が滑稽にみえたのでしょうか、冗談で、お前は将来教授になると言われました。5年目に国立循環器病センターのCCUに1年間勤務し、大学に戻りました。大学ではインターベンションの医師になりたいと思っていました。しかし、博士号を取るために始めた基礎研究が、その後の私の方針を決めました。基礎研究の面白さに取りつかれました。
インターベンションは、自分の基本的なテクニックとなると思っていましたが、現在、私はインターベンションのできない医師です。また、研究している友人をうらやましく眺めていた自分が、今も研究を続けている。さらに、若手医師の教育もできる。常に最先端の臨床に接することができる。うれしい限りです。
教授として在籍する今後10年間で、さらに、若手医師と共に進歩したいと思っています。20年後、30年後の医療を担うのは、彼ら若手医師です。その意味でも私の責任は重大です。