3人の恩師との出会い

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根 木 茂 雄
(和歌山県立医科大学 腎臓内科 )


私が和歌山県立医科大学を卒業したのは1961年で, 3人の先生との出会いが今の仕事(腎臓内科)を続けている根源であると思われる。最初の出会いは阿部富彌(当時の腎センター準備室の教授)先生である。学生の頃, 阿部先生のご子息の家庭教師をしていたこともあり,卒業する際に誘われたことが入局するきっかけであった。当時医局員も少なかったことから, 阿部先生から直接, 手取足取り指導して頂いた。そのお陰で, まがりなりにも人工血管などvascular accessに関しては現在もあまり苦労せず, 執刀できている。また, 阿部先生は当時まだ,問題とされていなかったリンの重要性について注目していた。食事におけるリン制限の必要性について指導頂き, リンの重要性を認識したことを覚えている。2人目は阿部先生の後任の秋澤忠男先生である。秋澤先生は当時, 透析の領域では誰もが知っているビッグネームで, その先生が和歌山に来られると言うことで, 本当にびっくりしたものである。私は大学の関連病院の透析室に勤務しており, 秋澤先生が赴任してすぐに希望して, 大学に戻してもらった。秋澤先生が来られてから, 医局全体でCKD-MBD(特に副甲状腺に関して)関連の研究に力が注がれ,私自身もCKD-MBDについて基礎から学び, 副甲状腺PEITも施行するようになった。また, それまでどちらかというと透析と血液浄化を専門としていた私に腎臓内科領域の知識をもたらしてくれたのも秋澤先生であった。最後の出会いは現教授である重松隆先生である。秋澤教授が昭和大学へ戻ることとなったため, 腎臓内科・血液浄化センターの教授として重松先生が赴任されることとなった。重松先生も秋澤先生に負けず劣らず透析の世界では有名であった。先の2人の先生との出会いから現在の仕事の基礎はある程度できあがっていたが, 重松先生と接することでさらにブラシュアップすることができたと言える。何事にもエネルギッシュでどんなことにもへこたれないタフな重松先生の仕事ぶりは私にとって非常に魅力的であった。また, 秋澤先生同様重松先生もまた, CKD-MBDのスペシャリストであったこともさらにCKD-MBDの研究に興味を深める所以となった。また, 仕事以外でも, 飲み会(お互いに酒好き)においても他の2人と異なり, 最も多くの時間接した。
このように私の現在は, 偶然か?必然か?, ひとつの医局に在籍しながら,3人の個性の異なる先生との出会いの結果である。 J-DAVID試験も最終コーナーを迎えたと伺います。活性型ビタミンDも庄司哲雄先生というすばらしい先生との出会いにより新たな局面を迎えられることを期待したい。