「運命のビタミンD」

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垣谷 隆介
(明治橋病院)


 平成9年卒業の若造といたしましては、J-DAVID Newsの全国各地の大先生からのメッセージを、まさか私に依頼は回ってこないだろうと気楽に拝見させていただいておりました。今回、晴天の霹靂で御指名をいただき、「さてどうしようか」とビタミンDについて色々考えてみたところ、私とは浅はかならぬ因縁(?)があることを思い返し驚いております。
 医学部4回生時に各研究講座に分かれ研究をするというカリキュラムがあり、私は公衆衛生学講座を志望。「骨粗鬆症と生活習慣の関係」をテーマに研究を行いました。内容は、特別養護老人ホーム入所中の方に過去の生活習慣を聞き取り調査し、骨粗鬆症との関連を調べるというものでしたが、その当時大阪市立大学第2内科助教授であった前教授(現大阪市立大学学長兼理事長)の西澤良記先生より、ビタミンDについて検討するよう御指導いただいたことが、私とビタミンDとの初めての出会いであったように記憶しております。
 その時の経験より、医師として「骨」をテーマにしようと考え、大阪市立大学第2内科に入局。当時の教授はビタミンDの大家、故森井浩世先生であり、大変良く目をかけていただきました。今でも教授回診時の「ディーはどうですか」のお言葉は忘れません。
 しかし、医師一年目研修時にMCTDからの腎不全、透析導入症例を庄司哲雄先生に御指導いただいたご縁で透析に興味を持ち、蒼龍会井上病院での研修を志望。そのまま十二年も居つくことになってしまいました。どっぷり透析の世界に浸かり、目の前の透析患者さんが様々な合併症・疾患で去ってゆく前線に立っていた私はもはや「骨」に興味を失ってしまっており、ビタミンDの透析における認識は骨代謝・二次性副甲状腺機能亢進症に対する治療薬といったもので、あまり興味のわかないものとなっていたのでした。
 その時、庄司哲雄先生が突然(私には突然に感じました)「ビタミンDが長寿ホルモンになり得るのか?」とお話になられ、前線に立つものとしては、前線の曇天の中に新たな日の光がさしたように感じたものでした。
 腎不全外来をしていると、時にビタミンDによる高カルシウム血症、腎機能悪化症例を経験し、ビタミンDを信じられなくなることがありますが、ビタミンDが低下していることより正常であることの方が良いと信じ適正使用を心がけているものとしては、良い結果が出ることに期待を寄せております。