出会いは最悪だった透析療法

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吉本 充
(大野記念病院 泌尿器科)


 1982年に大学を卒業しすぐに生化学3の大学院と泌尿器科の医局に入局しました。当時の大阪市立大学泌尿器科は泌尿器科と透析を両輪としており両方の研修が必須でした。透析の研修に変わったその夜に、新たに受け持ちになった患者さんが心肺停止されて朝まで5時間心臓マッサージを行うも・・。また別の患者さんでは右大腿部の透析用グラフト抜去術を行い出血量7Lに及ぶ大変な手術となりました。さらに臀部にある直径10センチ以上の石灰化した皮下腫瘤を摘出した患者さんには3か月間、開放創のガーゼ交換を行う毎日でした。その当時腹膜透析はCAPDではなくIPDで、週3回腹膜ボタンを外して腹腔内に細いチューブを挿入し1サイクル1時間で7~10サイクルのIPDを行っていました。某社のCAPD用透析バッグの治験も行っており、接続カテーテルと腹膜バッグの回路を繋いだあと感染防止のためアルコールランプに火をつけて接続部をあぶるという「びっくりポン」なこともしていました(翌年にトラベノール社がダイアニールを発売)。その後7年間透析と縁のない研究と仕事をしていましたが25年前に今の大野記念病院に転勤となり臨床現場での悪戦苦闘が始まりました。当時は高リン血症よりもSHPTの管理が優先され、経口の活性型ビタミンDでパルス療法を行うもPTHは下がらず高Ca血症と高リン血症をきたして治療が中止になることもしばしばでした。高リン血症の治療薬はアルミゲルが禁止され炭酸カルシウムしかなくPのコントロールにも大変難渋しました。EBMが少なく学会で仕入れた治療を臨床現場に応用する時代でした。その後新しい治療薬やガイドライン、エビデンスが次々とでてきて、実診療現場の治療方針がその都度がらっと変わりましたが、今回のJ-DAVID試験でも活性型ビタミンDの心血管イベント発症抑制効果、さらには生命予後改善効果が立証され再び臨床の場に還元されることを祈念しております。