生き延びるから生きるまで

kukita_l

 

 

 

久木田 和丘
(札幌北楡病院 人工臓器治療センター)


「昨日透析で入ったお婆ちゃんが足の骨、折ったんだって」病棟回診に行っていた時どこからかそのような声が聞こえてきた。卒業後4年目、岩見沢市立病院の外科研修で大平整爾先生のもとに赴き、透析患者さんとは初めて接した時である。30年くらい前まだバスキュラーアクセスとして外シャントが残っており、当直以外でも血栓に対応するため夜間担当が決められていた。北海道内でも透析が可能な施設は少なく、末期腎不全は道内のあちこちから紹介されていた。虫垂がとれて胃切までできれば鼻が高くなるくらいに考えていたので、延々と続けなければならない当時の重症透析は気が重かった。透析で骨折まですると当時予後はすぐ目の前に見えていた。しかしシャントにだけは興味があったためそこから透析の世界にも少し踏みこんだ。研修で札幌に戻るとさらに大先輩の今忠正先生がおられ時々、札幌北クリニックに呼んでいただいた。いまでも食事会にもお呼びいただき感謝している。現在は、元来専攻が外科であったため腎不全外科ともいうべき治療に携わっているが、ある意味で全く新しい分野なので広い情報収集のもと創意工夫をした治療が必要である。
活性型ビタミンDが発売されたのは1981年であるが、画期的な薬剤であり骨折の頻度の低下や腎性上皮小体機能亢進症の発症の低下が期待された。しかし一方、種々透析療法の進歩による恩恵とともに透析患者絶対数は増加し、かつ長期透析が可能となると、それらの合併症は相対的に増加してきた。それに対してはさらにその後の新薬も発売されている。大きな流れとしては多大なる進歩である。活性型ビタミンDの発売によりその作用に関する報告がなされ、免疫調節作用、サイトカイン分泌調整、レニンアンジオテンシン抑制効果、心機能改善、冠動脈石灰化調整などが判明してきた。ビタミンDレセプターは小腸、腎臓、上皮小体のみならずほぼ全身の組織にその発現がみられている。ビタミンDはサイトカインネットワークのように全身代謝・反応の大きな一つの歯車となっていると考えられる。その後リコンビナントエリスロポエチンの登場によりさらに透析患者の生活様態は向上している。透析が始められたころはまず生き延びる治療であったが、現在は通常のように生きるのが治療目標である。今回、西沢良記先生、庄司哲雄先生のご発案でJ-DAVIDが企画された。世界でも論文数が少ないとされる腎領域で、新たな前向き研究がなされることは喜ばしく成果の発表を期待している。